別れとヒューリスティック
今日は平成最後の日。
テレビをつけると平成最後の日に結婚、出産を控える人や今日を最後にお店を締める人の特集が組まれています。
昨日は平成の紅白を振り返る特番が流れていました。まるで大晦日のような、お祭りのような、妙な盛り上がり方です。
この盛り上がりは天皇陛下が生前退位をされるからできることであって、昭和の終わりはかなりの自粛ムードであったと聞きます。
1年以上放置していたブログを更新しています。今日書き残しておきたいことがあったからです。
昨年、フィロソフィーのダンスの「ヒューリスティック・シティ」という曲が発表されました。
この曲の歌詞には「平成に別れを告げる」というテーマがあります。この曲のサビについて思ったことを今日のうちに書きます。
まずは「ヒューリスティック」について簡単な説明を書きます。
ヒューリスティックとは、認知資源を節約して少ない時間で判断をする方法、簡単に言えば「経験則」、悪く言えば「偏見」みたいなものです。経験則なので、当たることが多いけど、論理的な思考を放棄しているから判断を間違えることもあるよ、みたいな話です。
さよならを
好きだって言えるうちに
次の時代いきましょう
わたしが覚えておくから、今を
さよならも
悪くない恋がある
なんてね、いいわけかも
当然のアブダクション
経験が恋を呼ぶ
以上がこの曲のサビです。
「感情ヒューリスティック」という用語があります。これも簡単に説明すると、好きな人と嫌いな人が同じ失敗をしたときに、好きな人を大目に見てしまう、といった感じです。
極端な例ですが、オタクは推しが何をしても好き!失敗しても尊い!と思ってしまうのはこれに近い現象でしょう。
要するに、自分の好き嫌いによって物や人に対する印象というのは変わってしまうということになります。
これは時代に対する別れに対しても一緒かもしれません。
今日で平成という時代とお別れをします。
別れというのは悲しいものですが、初めに書いたように、平成とのお別れというのは、生前退位ということもあり、お祭りのような、明るいお別れであることが感じられます。
悲しくないうちに、つまり、時代が好きなうちにお別れをすることは、そうでない時と比べ、後でその時代を振り返った時の印象が良くなるのかもしれません(実際にどのような時代だったかに関わらず)。
これが一種の感情ヒューリスティックなのだと感じました。
また近いものとして、心理現象には「親近効果」というものがあります。これは物事の最後に起こったことが印象に残りやすい、というものです。例えば、英単語を単語帳で覚える時に中盤にあるものよりもなぜか最後の方にある難しい単語の方が覚えていたりするのはそういうことです。
終わりよければすべてよし、などと言いますが、実際その通りで、最後に何があったか、によって印象は大きく変わるものだと思います。
ここでも言いたいことは同じで、「好きなお別れ」をすることで平成という時代に対する印象が変わってくるような気がします。
ちなみに恋愛についても同じこと(別れ方=恋愛の最後、によってその恋愛に対する印象、なんなら“恋愛”そのものに対する印象が変わってくること)が言えるのかもしれません。
それがサビの後半部分で言ってることなのかなあ、と思ったりします。まあ、オタクなので分からないんですけどね。
ちなみにこの文章も論理的な実証に基づいているわけではなく、経験則に妄想を含めて書いているのでかなり「ヒューリスティック」であると言えます。
本当はサビ以外の部分も書きたかったですし、実際に「ヒューリスティック」についてより扱ってるのはAメロBメロのような気もするのですが、長くなるのでそのうち書きます。多分。
何にせよ、「時代」に対して悲しくないお別れができるのは嬉しいことです。
ちなみに僕の平成最後の日ですが、大好きなフィロソフィーのダンスのライブが最高だったので、平成は良い時代でした。
これが親近効果であり、感情ヒューリスティックです。