好きなものを勧める難しさ

先日、推し(十束おとはさん)に「オススメの本ない?」とふいに聞かれました。また続いて、「哲学書でもいいよ」と。

本人は何気なく聞いたのだと思いますが、オタクからしたら難しい問題です。

そもそも自分は心理学の人間なのですが、心理学と哲学は親戚みたいなものなので、まあそこは大きな問題ではありません。

 

家に帰り、自分が最近読んだ本について、哲学、心理学の本について考えてみました。

家にあるベストセラーになっているいわゆる“名著”というものを読み返してみました。

なるほど、確かに本で言っていることは面白いしタメになる気がします。しかし、自分が好きか、と言われたらどうでしょう。別に大好きなわけではありません。ただ、人に勧めるものとしては「正解」な気もしました。

 

 

僕は昔から人にモノを勧めるのが苦手です。

自分が良いと思うものよりも、世間一般としての「正解」を探してしまいます。仲が良くない人に対しては特にそうです。

例えば、オススメの音楽を聞かれた時、「正解」は邦ロックを勧めることのように感じます。「音楽好き」の人に邦ロックを勧められた経験が多いのでそう思ってしまうのかもしれません。

ヒップホップだったり、アイドルを勧めるのは「不正解」な気がしてしまい、僕はそれらが良いと思っても挙げることができないことが多いです。

少しマジョリティーから外れた答えを言った方が話が盛り上がるような気もするのですが、なぜ正直に答えられないのでしょうか。

 

それは自分に自信がないから、という答えに帰結するような気がします。

まず、自分が好きなものを勧めたことによって相手に時間を取らせてしまう。相手が気に入らなかった場合は地獄です。申し訳ない気持ちになります。ただ自分のことすら分かっていないのに相手の好みなんて分かるのでしょうか。

こういった懸念をしてしまうのは自分のセンスに自信がないからです。

 

あと何より、自分の好きなものが否定されるのがこわい。

普通の人、しっかりと「自分」を持っている人というのは、自分の好きなものを否定されても特に何も思わないかもしれません。

僕の場合はどうでしょう。好きなものを否定されたら、自分を否定された気になってしまうかもしれません(多分言い過ぎですが)。

それは、自分の内面に自信がないため、自分の内面の価値を蔑ろにし、自分の好きなものなど、自分の外側にあるもの(趣味など)を自分の価値の一部として過大評価しているからのような気がします。

つまり、「〇〇が好きな自分」というのを自分のアイデンティティにしてしまっているのです。

 

この傾向がひどくなると、人への差し入れも、プレゼントも延々と悩んでしまい、一向に決めることができなくなります。そして結局超無難なものを選んでやり過ごすことになります。

まあ、この傾向は大学生の頃に特にひどかったのですが、最近は良くなってきました。

差し入れも自分が好きなものを持っていけばいいんだ、と気軽に思えるようになってきました。

 

 

なので結局、オススメの本は普通に自分が好きな本を渡すことにしました。

去年発売された「ナナメの夕暮れ」というオードリー若林さんのエッセイです。

今日ここに書いたことのように、ひたすら内面との向き合い方を考える本です。要するに心理学の本と言ってもいいと思います。科学に基づいているわけではないので哲学とも言えるかもしれません。

というか個人的には普通にめっちゃ良い本だと思います。超読みやすいですし。僕がラジオオタクで若林さんのファンだからというのもあるかもしれませんが。色んな人に読んでほしい。今日一緒にライブに行った友人にも思わず勧めてしまいました。

 

ぶっちゃけ推しの好みなんて全く分かりません。先ほども書きましたが、自分のことすらよく分かっていないのだから、他人のことを理解することなど不可能です。

それならせめて、自分が好きだと思えるものを勧めた方が良い、という結論に至りました。

結果的に、ひたすらに読みやすい心理学(哲学)の本を勧めることができたという意味では「正解」だったのかもしれません。

 

この文章を書いていて感じたのは、自分の好きなものを好きと貫くのは難しいなあ〜〜ということです。ただ、普通に生きてる人はこんなこと考えずに生きてるような気がします。考えすぎ。

 

自分に自信さえ持てればいいんですけどね。それこそ「自分探し」でもすればいいのでしょうか。

でも当分は無理そうなので、自分の好きなアイドルを好きでいることで自分の価値を見出していこうと思います。

 

あとこうやって、うんうん悩んでる自分が好きなのかもしれません。なのでこのまま変わらない方がいいのかも。ドMなのか。

 

でもやっぱ布教はできるようになってみたいなあ。